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鼎談「支援者支援がめざすこと」

鼎談「支援者支援がめざすこと」

鼎談「支援者支援がめざすこと」

嬉泉新聞第92号にて巻頭言「支援者支援がめざすこと」をご寄稿いただきました、日本社会事業大学名誉教授 藤岡 孝志先生と、社会福祉法人嬉泉理事長 石井啓、本部事務局長小池 朗との鼎談の模様をお届けいたします。

鼎談「課題を媒介とした交流」
~心のケアとしての受容的交流療法~

嬉泉新聞第89号にて巻頭言「課題を媒介とした交流」をご寄稿いただきました、日本抱っこ法協会名誉会長 阿部秀雄先生と、社会福祉法人嬉泉理事長 石井啓、同療育援助統括理事 沼倉実との鼎談の模様をお届けいたします。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-01-

    藤岡 孝志先生(日本社会事業大学名誉教授)石井啓(社会福祉法人嬉泉 理事長)小池 朗(社会福祉法人嬉泉 本部事務局長) 鼎談のテーマについて 石井  藤岡先生には普段からいろいろお世話になっていまして、事業所で言えば、めばえ学園と赤塚福祉園でも直接ご指導いただいています。もちろん法人としては評議員を務めていただいているのですが、今日はどちらかと言えば、現場のスーパーバイザーとしての藤岡先生のお話を伺いたいと思っています。 嬉泉新聞第92号にご寄稿いただいた内容(「支援者としての『存在』のありようへの気づきと調整、回復 ~支援者支援がめざすこと~」)は、先生がお書きになった『支援者支援養育論』(2020ミネルヴァ書房)のお話が中心だったかと思いますが、今日はその辺りと、受容的交流の関係について。嬉泉新聞の原稿もそうですが、『支援者支援養育論』にも非常に共感し、受容的交流に通じるものが非常に多くあるなということを感じながら読ませていただいています。 今日はいろいろ伺いたいと思いますが、最初はやはり、直接めばえ学園や赤塚福祉園で先生がご指導していただいている中で感じていらっしゃることや、そこでの職員との交流の中で、それこそ支援者支援に通じるお話もあろうかと思いますので、その辺りからまず教えていただけますか。 嬉泉での動作法指導 藤岡  まず、このような機会をつくっていただきまして、ありがとうございます。おかげさまで長年ずっと嬉泉に関わらせていただきまして、もうどのぐらい前からか忘れられるぐらいで、二十年以上経っているかなと思っています。 当初から赤塚福祉園とめばえ学園にずっとお世話になっていまして、赤塚福祉園は成人の施設で、職員の方が動作法をされて、その場に私がスーパーバイザーとして入り、「支援者である職員による利用者の方々への支援の場」をどう支援をするのかという立場でさせていただいています。 それから、めばえ学園は親子の場ですね。主としてお母さんですが、お父さんがいらっしゃることもあって、お母さん、お父さんとお子さんとの「セッション」と言っていますが、これも動作法のセッションをしていただいて、そこに私が入らせていただいています。  赤塚福祉園では、一回のセッションが職員と利用者の方のペア、二~三組で、これを複数回行います。 めばえ学園は一回に母子あるいは父子の一グループで、じっくりその親子の様子を見ながら関わっていく。それから実際に、私もお子さんに関わったりさせていただいています。  まず赤塚福祉園では、最初に「よろしくお願いします」と職員と一緒におじぎをするところから始めるのですが、その時の利用者さんのご様子は、しっかり声が出る方もいらっしゃれば、少し恥ずかしそうにしてなかなか声が出なかったりと、様々です。  そこで非常に大事にしているのは、「動作法という場」となる場所と時間を設定し、その枠組みを明確にして、普段とは少し違った場が設定されることで、「そこに来ると動作法」という雰囲気になるということ。職員の方も、普段はいろいろ利用者の方と一緒に活動をしたりしていますが、その「よろしくお願いします」で始まる区切りの中で、すっとそこに入っていく。 動作法は自分の身体を素材にして、普段の自分の身体のきつさとか、あるいはどうしても緊張してしまうところとか、身体を通して自分に向き合いながら、自分の中のさまざまな動きづらさや感じづらさを分かっていくもの。動作法を通して職員の方も分かりつつ、利用者の方も分かってくるということで、当然「もうちょっとこういうふうに頑張ってね」「こういうふうにしようね」「すごいね」などと言葉のやりとりもしますが、基本はやはり動作のやりとりです。 長くやらせていただいて感じるのは、利用者の方は、最初の時の入り方から、どんどん雰囲気が変わってきていることです。例えば、ある方は「動作法の場」に入ることそのものにためらいがあって、だけど窓の外からその場を見て、それからまた自分の普段の生活の場に戻る。つまり動作法の場が、その方にどう位置づくのかということも丁寧に見守って、次第にそこに入ってくる。そして、動作法専用の素敵なマットを用意してくれているのですが、そのマットに座るか、座らないか。ずっと立ちっぱなしだったり、動き回ったりすることがあっても、それはその人のその場における動きだと尊重しながら、でも「動作法を始めるよ」と声掛けすると、そのうち立ちどまってマットの上に座るようになってきます。 こう話していると、特定の利用者の方々のお顔がすぐ浮かびますが、本当にそのことだけで半年をかけたり、場合によっては1年をかけた方もいらっしゃいました。が、何十年という大きな流れの中で、本当に見違えるぐらいに変わってきているなと思っています。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-02-

    支援者支援と動作法、受容的交流 藤岡  ここから先が今日のテーマである支援者支援につながるところですが。 まず動作法とは、職員が利用者にいきなり触れるのではなく、まずは「今日の調子はどう?」などと声掛けして、雰囲気をつくりながら「じゃあ、触れますよ」と声掛けをして、それから肩や背中に触れていくものです。触れる時に、職員によってはすごく緊張感があったり、あるいは逆に少し強めに触れてしまったりで、その方の普段の声掛けや関わり方の様子が、その触れるという瞬間に出てくる。 つまり動作法では、支援者が少し疲れているとか、あるいは頑張っていて今日は調子がいい、などいろいろな波がある部分を、この「肩に触れる」という瞬間に、その支援者の状態と、それから相手の方の状態に合わせるところが見られる。実は動作法の支援の場を設定することそのものが、支援者支援のメンテナンスにつながっているのではないかと思っています。  当然、初めて動作法をされる方は、少し強めに触れたり、あるいは逆におっかなびっくりであったりですので、適切な、ちょうどいい心地良い場をつくる調整をしていくところから始めていきます。もともと嬉泉の職員の方々は、そういう意味での潜在力とか、あるいはトレーニングができているので、本当に適応が早く、初めての職員でも一〇分ぐらいされるといい感じの空間をおつくりになっていくことをすごく感じています。 先ほど石井理事長が受容的交流とのつながりのことをお話しになりましたが、本当にそこの部分の雰囲気づくりや、相手との関係性を感じ取りながら、今、利用者の方々が感じているところに合わせる形で、支援者が適切だと思うことを伝えたりしていく。そのことによって、時々刻々と変わる相手の方の変化に合わせながらその支援の場をつくる、という意味で、非常に動作法、あるいは支援者支援の観点での動作法と、受容的交流のつながりを感じています。 セッションの中で、利用者の方ができないところ、例えば、背中にぐっと力が入っているところを、少しずつ軸を立ててまっすぐにしていって自己調整へとつなげていくということですが、ここでも大事にしてきているのは、やっぱり背中が前かがみになったり、少し側わんが入ったりというのは、これはもう利用者の方々が生きてきた歴史の中で体が表現しているわけですから、これをまずそのものとして見ていく。つまり、背中が右に曲がっているからといって、すぐにまっすぐにすることはせず、そこにはその方の生きてきた歴史というものが身体の動きに表現されているので。まずはその歴史を、そして時々刻々と表現される現在の状態を見て、そこから「今日は背中のところをちょっとまっすぐにしていこうかな」「今日はちょっと肩が前に行っているところを、ちょっと後ろに一緒に動かしていこうか」と、考えながら、一緒に動作法をさせていただいてきました。やっぱり自分の生きづらさや、気がつかないところとかに少しずつ向き合うことは、少しずつでも結構大変なことなので、一緒に行っていきます。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-03-

    共感疲労と共感満足 藤岡  そこで大事なことが、「できないと思っていたことができるようになった」という成就感です。動作法が始まって何分か後ぐらいには、利用者の方が「自分なりに動かせた」という成就感を支援者も一緒に味わうことができるという、そこがとても大事なことではないかと思っています。そこも受容的交流の「一緒に動かせた」「一緒に何かできた」という(課題を乗り越える)部分とのつながりにもなるかなと思っています。 そのようにできたことは利用者の方々にとっても自信になりますし、これもまた支援者支援だと思いますが、そういう空間を利用者とつくることができ、そして支援者としてその場に関わることができた。ここは利用者の方の成就感だけではなくて、支援者の成就感にもつながるのではないかなと思っています。支援の場がそうやって構築されていく中には、必ずそこには支援者が参加し、そして支援者自身もそういう成就感を味わっていく。 だけど、なかなかうまくいかない時もあります。でもうまくいかない時も、一緒に動いている利用者の方が結構いろいろやってくれて、むしろ支援者側に驚きがあるということもあります。「えっ?ここまでできるとは思っていなかったんだけど、すごいね!」という驚きが、また支援者にとっての喜びにつながるかなと思っています。 これを支援者支援では「共感満足」と言っていて、疲労が高くなっても満足感がそれに伴って起きてくると、疲労の回復が非常に早いとされています。利用者とともに感じる「共感疲労」がある程度いっていても、(「共感満足」があることによって)それが早く解消されたり、あるいは持続しても、支援者としてはむしろ「このぐらい疲れているけど、今日はそれが行えたからだ」と、自分の疲労感に対する肯定的な評価をすることができるなど、支援の場で起きている出来事によって、(支援者の疲労度が)変わってきます。 私の役割は、そういう何気なくなされているところを「実は一緒にできていますよね」とか、「ここはすごいですね。ここでこういうふうに関わったから、利用者の方はこんな表情になりましたよ」と、通常だったらスルーしてしまうところをしっかりと言葉にしたり、実際にされているところを見ていてあげたりしながら、支援者の成就感やできている感、効力感などをサポートさせていただいています。  もう一つのめばえ学園は、母子あるいは父子の支援です。めばえ学園でお子さんに関わっていただく中で、職員の方にいろいろ折りに触れてお話になる親御さんの姿でもありますが、家庭での母子・父子関係、やはり親子でいる時のおっかなびっくりな感じとか、あるいはすごく適切な関わりをしようと思ってもなかなかできないためらいとかが、すごくつぶさに出てきます。 大抵の場合、最初に親御さんにお子さんを抱っこしてもらって、「これから動作法を始めます。よろしくお願いします」と言って、お母さま、お父さま、お子さんもおじぎをして始めるのですが、ご想像されるように、まず抱っこされることそのものが非常に触覚的な過敏性により、お子さんがじっとしていられないところがあります。でも、そういう時はしっかりとまなざしを向けて、親御さんの方を向いてくれた時に「しっかり見ているよ」と返してあげていただきます。必ずしも接触だけがコミュニケーションのきっかけではなくて、そういうアイコンタクトを一瞬でも持てるところが、すごく関係性が深まるきっかけでもあるので、そういうところも親御さんに声掛けをしていただいています。 そこから大抵、(親が子の腕を取って)腕上げから始めるのですが、自分で手を上げてしまう子もいます。それを自分で上げるだけではなく、ゆっくり上げたり、少し速く上げたりとペースを保ちながら親御さんと一緒に上げていく。実は腕上げというのは、「触れてあげる中で一緒に上げていく」ということなので、そこには自分だけが動いているわけではなくて、「一緒に動いてくれている人がいる」というこの実感が、動作法を繰り返す中で体験されていくのです。親御さんも、おうちでもお子さんと一緒に過ごしたりしますが、やはりどうしても一緒に動く、あるいは一緒に遊んでいるという実感がなかなか持てない。特に多動がすごくある、あるいはこだわり行動が出ている時は、そういう実感がなかなか持てないものですが、動作法でちょこっと一緒に動いたという、このちょこっというだけでも、一緒に動いたというこの感じは、やはり親子が一緒にその瞬間を味わえたことにつながります。 だいたい親御さんは「このぐらいしか動かなかった」とか、あるいは「動いたけどすぐやめた」と、どうしてもネガティブにご覧になりますが、私はその時にすかさず「いやいや、今ちょっとでも一緒に動いてすごかったね」「お子さんもそうだけど、それを一緒にできたお母さんもすごいね」と伝えます。やっぱりお子さんがすごく動き回ったり、あるいは自分のことばかりになっている時に、「ちょこっとでもお母さんと一緒に動いた」というこの実感は、お子さんにとっても親御さんにとっても、その瞬間が自信につながるかなと思っています。 (めばえ学園は)学齢期以前なので、やはり学齢期までのところで、そういう瞬間、瞬間を親御さんとお子さんがつくるところがすごく大事なことかなと思っています。私は親御さんも支援者の一員であるということで、親御さんへの支援も、支援者支援ではないかなと思っています。 そういう話をめばえ学園で職員の方々に、ビデオを見ながらあとでフィードバックをしていくと、お子さんだけではなくて親御さんの振る舞いが普段見られないものだったりして、職員の方々の親御さんに対するまなざしを共有するきっかけにもなっているのではないかなと思っています。そういうところも支援者支援につながっているかなと思っています。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-04-

    赤塚福祉園での取り組み 石井  いろいろなお話をしていただいて、本当に共感しかないのですが、今日は時間の関係もあるので少し絞ったお話をさせていただこうかなと思っています。 「支援者支援」で言うと、いろいろな療育や支援の方法が世の中にあまたありますが、支援者の側にスポットを当てたもの、支援者に着目したものはあまり多くないのかなという感じを受けています。その中で受容的交流の考え方は、非常に支援者側の、利用者に対する見方であるとか、関わり方の態度、支援者自身の心の動きを重視するものだと考えていますが、その観点でもすごく通じるお話があったなと感じました。 今日はちょうど、小池が赤塚福祉園の園長でもありますので、特に赤塚でのことを中心に話をしていきたいと思います。 まず利用者さんが動作法の場に来て、そこで本当に変わっていったというお話。成人の支援は、巷ではなかなか「療育」とは言われないのですが、やっぱり何歳になっても人間は精神の発達がありますし、そこで発達障害と言われている自閉症の人たちの支援の中に、発達支援は当然含まれるべきだと思います。実際に受容的交流の考え方の中でも、目的の一つとして発達支援があると捉えています。長い年月を通して、利用者さんが非常に変わられるというお話がありましたが、どのような変容が見られることが多いと捉えていますか。 藤岡  余裕と言いますか、セッションに来て体を動かしたり、あるいはやりとりをしたりする中で、すごく自分から動きを始めて、かつ職員の方の動きにしっかり合わせて一緒に動かせるようになる。つまり相手のことも受けとめながら、自分の動きもしっかり表現できるところ。最初の頃は、やはりどうしても自分の動きのみに意識が向いて「やったでしょ」というぐらいの感じなのが、職員と一緒に動かすところで、自分の気持ちを調整することが、すごくつぶさに伝わってくるようになってきますよね。 それから、動作法のセッションが終わったあとに生活の場に行くと、本当ににこにこして、行く前より行ったあとですごく表情が穏やかになるということを職員の方からよくお聞きしています。おそらく自分の気持ちを調整できた実感、頑張って(無理をして)調整するよりは、こんなふうに調整すると気持ちが穏やかになるとか、そういう心持ちの部分を実感できているのではないかな。これは嬉泉の新聞にも書かせてもらいましたが、セッションの場から帰ったあとに(利用者、職員)みんながすごく表情がにこやかな穏やかな顔になってくるということを職員の方々からお聞きしました。 石井  気持ちの調整とか、一緒に動くというか、むしろ利用者の方が職員の動きに合わせることが見られるとのことですが、つまりそれは職員との関係性や人間関係、あるいは利用者さん側の視点で言うと、ある種の自己統制力が向上しているというか、発達したのではないかなと感じましたが、そういった理解でよろしいですか。 藤岡  私もそう思います。動作法のセッションで、誰と一緒にこういう動きができて、こういう気持ちの変化が起きてきたというところ、この「誰と」という体験の蓄積が、おそらく「職員の方」というところが、私はすごく大きな意味を持っていると思っています。動作法以外の生活の場でも、「この人と一緒だったらいろいろなことがチャレンジできるかも」「自分は今、気持ちが朝から落ち着かないんだけど、この人の顔を見ると、あるいはそばに行くと、この人と一緒に鎮められるのではないか」と予測がつくようになってくることがあるのではないかと思っています。 それが、ある特定の職員の方とできると、他の職員の方ともできるようになる、あるいはご家庭でも親御さんと一緒にできるようになるという、理事長がおっしゃっていた「関係性の広がり」がどんどん起きているのではないかなと思います。 石井  まさに受容的交流の目指すところの話だなと思いますが、赤塚福祉園の職員はどのように理解していると小池さんは捉えていますか。 小池  今おっしゃっていたように、「この人と一緒にいると安心できる」という、これがまずスタートなので、そこから始まって、そういう人がだんだん増えていく。利用者の方にとって「この場所だったら安心だよ」というところに赤塚福祉園がなれれば、本当に理想だよね、という話は職員にしています。 ただ、職員全員が本当にそこまで理解できているかどうかは、自信を持って言えないですね。通所型の事業所なので、朝に来る時間と帰る時間は決まっているし、その間でこの活動をしなくてはいけない、というある程度の流れがあって、その日々の流れの中で、そこまで深いところまで掘り下げていこうと思うのは、なかなか難しいことかなと思っています。 実際に全部うまく行っているとは思えないところは確かにあるのはあるのですが、動作法を行っていただいた時に、利用者の方が変わっている時は職員が先に変わっているはずですよね。まず藤岡先生から「今日はこれを行うよ」と課題を与えられて、それを利用者の方と職員が一緒に取り組んで、「これができるようになりました」という過程で、利用者の方が職員を頼って安心できるのであれば、職員も「あっ、この人と一緒にできて良かったな」と実感を持つことができる。その場をつくっていただいているというのがすごく大事なことだと思います。 普段の活動の中で、普段の利用者の方との関係性をそこまで持っていければまた違うのでしょうが、そこはなかなかまだ難しいのかなとは思います。が、目指している場所は本当にそこだと思いますので、そこに向かって一緒にできるのは本当にありがたいことだと思っています。藤岡先生の講評のコメントや、職員とのやりとりを見させてもらっていても、やはりそういう観点で関わってくださっていて、それに対して職員は「翌月のセッションまでにこういうことをきちんと行っていこう」と本当に一生懸命に取り組んでいるので、それは着実に広がっているなと思います。だから本当に、全員がそのようになれたらいいだろうなと思いますが、やはりとても難しい道だと思います。そこを自力で行うのはすごく大変なので、藤岡先生のように、内部の職員ではない、別の方が来てくれて、そのように話をしていただけると、職員の理解がものすごく進むのでありがたいことだし、良い機会だと思っています。 赤塚福祉園にも二十数年もおいでいただいていて、職員の中には本当に動作法が定着していますし、ご家族の中にもそれが広がってきています。めばえ学園のように、その場にはいないですが、利用者の方が変わっていく姿をご家族は見ていますので、「動作法のセッションに、すごくにこにこして参加していきます」という方もいらっしゃいます。それは本当に、(現在の職員だけでなく)これまで対応してきた歴代の職員たちの積み重ねだなと思います。ただそれに気がついているかどうかは、まだ職員側の努力が足りないかなと思っています。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-05-

    職場の中でのサードプレイス 藤岡  これはめばえ学園も赤塚福祉園もそうですが、振り返りの時間をすごく大事にさせていただいています。赤塚福祉園で言えば、利用者の方と職員の方の場ですし、めばえ学園では親子の場であります。 そのような、支援者のメンテナンスの場と言いますか、支援者が自分自身のことに気づく、できているところ、あるいはできていないところにもしっかり気づく場があるということ。職場の中ではありますが、普段の支援の場、生活の場、関わりの場、それからプライベートの場での自分。そこを少し離れた、いわゆるサードプレイスという、職場・プライベートの「中間の感じの場所」が職場でも必要と感じています。 私は「支援者の統合感」という言葉を使わせてもらっていますが、自分を人として捉え直すと言いますか、人として、自分らしく仕事ができるためにはやはりメンテナンスがすごく大事です。それは家に帰って振り返ることもできますが、職場の中に、サードプレイスというような場ができあがることによって、職場の中でメンテナンスができることも、今後、支援者支援という考え方が定着する上においては、とても大事なことではないかなと思っています。  これも日ごろ、小池園長とお話させてもらっていることですが、やはりプライベートの生活の場での自分のメンテナンスという部分が実はすごく大事です。職員の皆さま全員と言っていいぐらい、(プライベートで)予期せぬ出来事や、つらい出来事があったりするわけですが、いろいろなことが人生で起きる中でも、そこを引き受けながら職場に来て、支援者としての資質を保持しながら利用者の方々、子どもたち、親御さんのために関わっていらっしゃる。でも、それは実はものすごく至難の業です。だから、そういう「支援者としての自分」を維持するためのリカバリーができる、自分自身が気づくような場が、職場の中にあると良いのです。 (本人が)気がつかないうちに、というところもすごく大事だということですね。気がつかないうちにメンテナンスしてもらっているような組織的な支援が、私はすごく大事ではないかなと思っています。『支援者支援養育論』でも、支援者を支援してこその利用者の方であり、お子さんであり、あるいは親御さんであるというところを強調させていただきました。意識する、しないにかかわらず、そういう場が職場の中にできあがることがすごく大事なことではないかなと思っています。 石井  ありがとうございます。支援者としてのメンテナンスについて、私はよくスーパービジョンが大事だと言っていて、スーパービジョンにはいろいろな機能があるわけですが、その中でもいわゆる「支持的機能」が今のお話に通じるものなのではないかなと思いました。私も実際に、職員と面談をしますが、そのことを意識して行うようにしています。 また、職場の中のサードプレイスが、いわゆる職務とは違う形での場があることの必要性については、そこをきちんと識別というか、仕分けをした上で確保しなければいけないのかなと思いました。普通に面談して、その中でこちらがメンテナンスのつもりで関わっていても、必ずしもそうなりにくいというか、なかなかそうならないことも確かにあるので。 藤岡  そうなんです。その一つの例として、今は支援者支援をより組織的に考えていく中で、「支援者支援コーディネーター」の役割を、職員兼務でもよろしいので、なんとか組織の中につくっていただけないかと、折りに触れて伝えさせていただいています。 おかげさまで、現在、ある児童相談所の中で先駆的に、常勤職員とは別に「支援者支援コーディネーター」を雇用していただいています。その方は職員の支援者支援のことだけを考え、職員からの相談を受けます。その経験で分かったことは、やはり待っていても、職員の方はなかなか相談するのが申し訳ないとか、あるいは時間を取れないという中で、自分のことはやっぱり皆さんは後回しになって、子どもさんや利用者のことを優先する。それは当然のことだと思いますが、(まずは支援者としての)自分があって、表情が豊かに、それから声掛けもきつい言葉ではなく穏やかな、落ち着く余裕を持って、そして声掛けしたら向こうがどんな応答してくるかを待てる余裕を持つ、というのは、やはり、かなり自分自身をメンテナンスしていないと難しい。 だけど「最近そういう感じにできなくなったな」ということは、支援者であれば誰でも起こり得ることだと思います。その時にこの「支援者支援コーディネーター」のところに行って、「いや最近ちょっと、プライベートのこともいろいろあって、本当になかなか身が入らなくて。だけど、申し訳ないと思いながら頑張っているんです」と誰かに言えることがあると、そこでリカバーをして、自分の思う支援ができていく。そのことで支援者としての安定感などが維持されることがあると思っています。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-06-

    バーンアウト・リスクを防ぐ「炭鉱のカナリア」 藤岡  そういうところで、仕組みとして先ほども少し紹介した共感疲労や共感満足などの気づきを通した支援者支援があります。私は「炭鉱のカナリア」という言い方をしていますが、支援者として状態が少しきつくなっているという時に、ちょうど昔に炭鉱夫の人たちが炭鉱の奥に入って、酸素が不足した時にカナリアが一緒に入っているとバタバタとして、それを見て「自分は今かなり危険な状態だ」と認識し、外に出て新鮮な空気を吸うという。支援者にとってのそういう「炭鉱のカナリア」的な役割を持つ、疲労感や少し焦っている感じ、あるいは傷つきなどを誰かに話をして「少し調子が悪いんだよね」と言う。でも、そこを話してリカバーすることで、その先にある、これはいよいよ支援者支援の中では「最後の砦」と言っているバーンアウト・リスクが高くなるのを防ぐことになるのです。 「炭鉱のカナリア」はバタバタしているのに、そこをスルーしていくと、本人も気がつかない中でバーンアウトへと至ることがあります。実際にバーンアウトの自己チェックなどをしてもらうと、私の経験では、組織の職員の中の数%は既にリスクが高くなっている人がいらっしゃいます。自己チェックができるということは、当然離職はしていない中で、かなり厳しい状況だが頑張っている。でも、その方々にやっぱり優先的に自己チェックなどを通して気づいてあげて、「バーンアウトのリスクが高くなっているみたいだから、本当にどんなたわいもないことでもいいから、ちょっとここで話してみようよ」と言ってもらう場があると、そこからまた戻ってこられることがあります。 バーンアウトの研究はすごく進んでいて、その症状は三つあると言われています。一つ目は「情緒的消耗感」、精神的な疲労が非常に高くなる。それから二つ目が「脱人格化」と言って自分らしく仕事ができなくなってしまう。それから三つ目が「個人的達成感の低下」です。私が見たところでは、組織の中で「情緒的消耗感」は数%とかなりリスクが高くなっている方がいらっしゃいます。「脱人格化」の方も数%。意外と「個人的達成感の低下」は10%を超えています。10%ちょっとくらいなのですが、でもそれは「最後の砦」なので気づけます。だから、やはりそこは組織的な支援としてすごく大事かなと思っています。 これらの対象は子ども家庭福祉領域の児童養護施設や児童相談所の方々が多いですが、障害児者領域においてはまだまだで、もっと取り入れていただきたいと思っています。セルフケアも大事ですが、組織として支援者支援コーディネーター的な方を置く。私は常勤ではなくても、あるいは外部から呼ばなくても、兼務でも十分ではないかと思っています。先ほどからお話を伺っていますと、小池園長は既に支援者支援コーディネーターの役割を果たしていらっしゃるのではないかなと思いながら、ずっと聞かせてもらっていました。その辺りを、またお二人からいろいろお話を伺えるとうれしいです。 石井  バーンアウトもそうですが、共感疲労などといった部分に気がついて、職員のメンテナンスを積極的にしていくことは、支援の質もそうですが、やっぱり職員の定着ということにすごく関わってくる話だなと思って伺っていました。 特に嬉泉に就職してくる職員の方は、「自閉症や障害のある方や子どもが好きだ」ということが大事な方が多くて、そういう方が求めるものはお金などより、やりがいというか、本当に好きな仕事ができるか、そこで手応えが得られるか、先生がおっしゃったような自分らしく仕事ができるか、そういう有用感を持つことだと思います。 ある部分、本当にフィットする人にとっては、すごくそれが満たされる職場だと自負していますが、やっぱりそこでどうしてもかけちがいがあったり、あるいはご自身が迷路に入り込んでいたり、あるいは気力がなえてしまっているとかがあると思います。 実際に、特に自閉症の行動障害がある方に対応するのは、非常に情緒が疲弊する仕事だと思います。そこを支えるという意味で、嬉泉ではそれがスーパーバイザーであり、同僚としても支え合うことが大事だとは言っていますが、もう少しシステム的にそこをきちんと支える。それこそ支援者支援コーディネーターを配置することが必要だなと、お話を伺っていて思いました。 それについては、どういった形でトレーニングをすればいいのでしょうか?また、人的な余裕で言うと兼務にせざるを得ないところはありますが、やはり園長といえども、通常業務の中での利害関係がどうしても生じてしまいますし、職員と上下関係がありますので、その意味で完全にサードプレイスになり得ない部分があるのかなとも思いますが。 藤岡  先ほど児童相談所の例を出しましたが、兼務で行っていただいているのは児童養護施設が多いですが、コーディネーターが複数いることがすごく大事だと思っています。「この方とはすごく普段から仲がいいけど、こういう内容については業務にも触れることもあって少し言いづらい」などいろいろあると思います。複数いらっしゃると「このことはこの人に」という対応が可能になる。 先ほどスーパーバイザーのお話もありましたが、非常にサポーティブな、支持的な役割をもっぱら中心にされるスーパーバイザーもいらっしゃる。またさらに、教育的な、教える感じでされるスーパーバイザー、いろいろ危機的な状況の中においてどう動くかという管理的な側面でのスーパーバイザーもいらっしゃると思います。 そのように支援者支援においても、やはり選べると言いますか、「このことはこの人に」というのがあるといいので、兼務であっても二人とか三人で、専属では雇用における負担もあるので二人ぐらい。一人が常勤で、他の方に兼務で二人ぐらいとか、そのような仕組みもあっていいのかなと思っています。  先ほどの定着支援という意味ですが、やはりずっと仕事を続けていくとライフサイクルの中で、例えば、親の介護があったり、お子さんの受験があったり、パートナーの病気があったりなど、いろいろなことが人生の中に起きてくる。しかし、そのたびごとにメンテナンスしながら、支援者として仕事を続けていくことは、実はすごく至難の業ではないかなと。長く勤めることができていること自体が奇跡でないかなと思うぐらい、本当に色々な方の支えによって乗り切っていらっしゃるのではないかなと思っております。 そういう全体的なところを、支援者支援コーディネーターの方が、守秘を前提に受けとめてくださることが大きな役割だなと思っております。だから、そこはおそらく定着支援においても非常に大事なところです。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-07-

    ワークライフエンリッチメントと支援の輪 藤岡  最近、私は「ワークライフバランス」という「仕事と生活をバランスよく」という考え方より、つらいことがいろいろあってもなんとかライフも充実して、その中でのワークも充実する「ワークライフエンリッチメント」が、理念としてすごく大事なことだと思っています。そう考えると、やはりライフも含めたメンテナンスをしてくださる方が必要です。ワークの面のスーパーバイザーはしっかりと位置づいていらっしゃると思うので、その全部を含めた、支援者のための、持続可能な支援者としての「支援者支援コーディネーター」、まさに支援者支援のど真ん中だと思いますが、そういうことをぜひ、嬉泉から先駆的にお願いできればと思います。 実際にその土壌として、先人の石井先生を含め、皆さま方の中に支援者支援という思いや考え方が定着してきていると思うので、ぜひお願いできればと思っております。 石井  「ワークライフバランス」には私もすごく違和感を持っていまして、そもそもそんなにきれいに分けられないのではないかと思うんです。もちろん自分の中にもオンオフはありますが、それにしてもやはり影響し合っているところはありますし、実際に職員の話を聞いていても、どうしてもプライベートで起こったことに影響されて仕事に支障が出ることは当然あります。 また、すごくシビアなところで言うと、やはり行動障害のある利用者さんに関わっている中で、どうしても支援者側の感情が制御できない時がありますが、そういう時は往々にしてプライベートで何かある、ということがある。そこを切り離して語れないというか、先生がおっしゃったように、そこ込みでメンテナンスしないと継続していけないところではないかなと。とてもすごく、腑に落ちる話をしていただいてありがとうございます。その辺り、小池さんはどうですか。 小池  自分もどちらかというとワークとライフは別ではなくて、そもそもライフの中にワークがあり、自分の人生の中で仕事はすごく大事だとずっと思ってきたので、分けたことはあまりないです。公私の区別なしではだめですが、自分の生活の中で生活の一部として仕事があり、やはり生活が安定していないと駄目だと思います。自分自身の心が安定しているのは、自分の生活自体が安定しているからできることなので、そうでなければ、どんなに一生懸命理屈を考えても良い支援はできないと思っています。 ですので、本当に支援者支援の役割などを抜きにしても、やはり管理職の役割もすごく大事だと思っています。(職員との面談で)仕事の話をする以上に、個人的な話を聞いていることが実はすごく多いです。個人的な話もきちんと聞いて、それに応えて話をして、その職員が「こうすればいいかな、これでいいんだな」というヒントを得て、安定して仕事ができればいいなと思っています。ですので、いつも話の間口を開けていて、「こんなことを話すのか」と周りが思うようなことを言いにくることもあります。 管理職を行っていると、どうしても日常の仕事の管理や、業務、運営がうまくいくようにと、どうしてもなりがちですが、そのためにはやはり職員が安定していないといけない。本当にお話していただいた通り、管理職がものすごく意識して取り組まないと。単純に管理的な立場だと無理なので、それはすごく大事だなと思います。 ただ自分も、どちらかというと管理職側には見られなくて、話している内容がやっぱり支援者だよね、と言われる。その側面をきちんと持ちながら、利用者支援を行っている人たちの気持ちもきちんと分かりつつ、うまくいかない時は本当にみんなすごく気持ちもなえるし、でもやっぱり「こうしたらうまくいくよね。これはうまくいったよね」というその仕事の話も含めて、個人の生活も「楽しいことがあるといいじゃない」という話をする。本当にそれこそバランスだと思います。 このように藤岡先生とお話しさせていただくと、「自分がやっていることはそんなに間違っていないのだな」と思う時があるので、自分は支えてもらっている側だと思います。石井哲夫先生もそうでしたが、本当に藤岡先生とお話ししていると、本当に何でも話をして相談できてきたなと思います。(自分が職員にとって)そういう存在になれたらきっといいし。ただ、その目的はあくまでも利用者の皆さんのために、なので、そこが一緒にできたらいいなと思います。 本当に藤岡先生においでいただいていて、自分もすごく救われている側です。これはなかなか言う機会がないので、今日お伝えします。本当にありがたいです。 藤岡  こちらこそ本当にありがとうございます。そのように言っていただいて、私もまたうれしくなって、支援者支援をまた続ける気持ちにもなっていると思っています。 先ほどおっしゃっていただいたところ、「支援の輪」という言葉を共感疲労の草分けであるチャールズ・フィグリー先生から教えていただきました。支援というのは1人の支援者をグループが支える、そのグループもそれをまた支える人がいて、その輪が広がるようになっていくのが支援なのだという、その輪が波紋のように広がってくることがすごく大事だと。 一方でフィグリー先生はPTSDという考え方の中で、二次的なトラウマの大変さも指摘しています。もともとの出発点はご自身が大学に進学する時にお金がなくて、当時アメリカは軍隊に入ると奨学金が出るので、高校卒業してすぐに入隊してベトナム戦争に行った。そこでとても大変な思いをして帰ってきた時に、一緒に戦った人たちが次々と、家での様子が変化してしまう。戦争に行くまではすごく良いご主人だったのが、帰ってきてものすごいDVの加害者になってしまって、どういうことが起きたのだろうかということで、トラウマというものが波紋のように広がって、それが二次的PTSD、そして三次的と広がる。だから支援の輪も広がりますが、傷つきやつらさもそうやってどんどん波のように広がっていく。 私は常に提唱していますが、支援者の傷つきである二次的PTSDの他に三次的PTSD、四次的PTSDがあると考えています。つまり傷ついた利用者の方々、あるいはお子さんが一次的PTSD、支援者の傷つきが二次的PTSDであるとするならば、支援者の家族や友人などがこうむるトラウマティックなストレスが三次的PTSDと考えていくといいかなと思っています。そして最近、私は四次的PTSDも考えなければいけないと思っています。これはやはり家庭や、あるいはプライベートなライフで、さまざまなうまくいかないことがあったり、傷つきがあったりする。家族、友人は三次的ですが、支援者がプライベートでこうむる傷つきが四次的。その四次的がそのまま職場に行ってしまって、職場の中での自分が普段とは少し違う感じになってしまう。 先ほど、石井先生がおっしゃったところは、やはり(プライベートの)傷つきなどの輪が波紋のように広がる。でも、そうではない「支援の輪」を常に広げていく。支援者は、ある意味では世の中全体を明るく、希望ある世の中にするための一翼として、この仕事をさせていただいていると思います。ライフのほうの家族・友人もその輪の中に入っていくことによって「支援の輪」ができるだけ広がるような雰囲気づくりをすることが、支援者支援の出発点なのではないかなと、今お聞きしながら思いました。

  • 鼎談「支援者支援がめざすこと」-08-

    支援者支援コーディネーター研修 石井  支援者支援コーディネーターを実際に職場に配置していくことを考えていこうと思う時に、どういう形で訓練を受けたらいいかを教えていただけたらと思います。 藤岡  特にベースになっている資格や専門性は、多様にあってもいいのではないかと思っています。しかし、今ずっと話題にしていただいているところの理念としては「支援の質を保持するための支援者支援」なのだということです。 事業所で義務づけられているストレスチェックは、これはこれで職員のメンタルヘルスを保つために非常に有用性が高いと思っていますが、支援者支援で強調しているのは、職員のメンタルヘルスはもちろん大事ですが、その目的は「支援の質を保持する」こと。常にその先には利用者の方々がいる。お子さんがおり、家族がいるという、その理念を保つために支援者支援をするのだという、ここがもっとも大きなコンセプトではないかなと思っています。そういうところをしっかりと研修を受けていただく。 それから先ほどから話題にさせてもらっている組織的な支援や、あるいは一人一人の今の状態をいち早く把握して支援の手を差し伸べていくこと。支援者支援では「サイレンシング反応」と言って、人はきつくなっていればなっているほど「助けて」とヘルプを求めなくなる。つらい時ほど「助けて」と言えなくなります。だから、きつくなっている人には「助けて」と言われてから助けるのではなくて、「最近、ちょっと調子が悪いみたいだね」「なんとなく元気のなさそうだし」など、そういう支援をこちらから働きかけていくことがすごく大事ではないかなと思っています。支援を受けていると感じない支援者支援です。 例えば、そういうことなどを考えるために、ストレスチェックとは別の自己チェックで、共感疲労や共感満足、バーンアウト、セルフサポート、グループサポート、そして組織的サポートを盛り込んだ支援者支援二十一項目チェックをつくっています。例えば「受け入れてもらっていると感じる」とか「ユーモアを大事にしている」とか、「困った時は助けを求めるようにしている」とか「オンオフを非常に明確にしようとしている」等の二十一項目についてチェックをいただいて、トータルのメンテナンスに役立てる。 支援者の状態は時々刻々と変わってきますし、一人として同じ状況にはないのです。だから、他者と比較するものではなくて、支援者はみな、絶妙なバランスで成り立っています。例を出しますと、共感疲労チェックを毎年行っても、すごく高くなる人がいらっしゃいます。こういう方々は「横綱相撲タイプ」と言っていて、「このぐらい疲れていないと仕事をしている気がしない」というタイプ。うちに帰っても何か気になるとやってしまう。だが「この調子だと寝不足になるから寝よう」などと、自然と自己メンテナンスができている。 それからもう一つは「柳に風タイプ」と言っていますが、ずっと小さい時からものすごい生活を整えるのが上手で、職場が大変な状況にあって、日々さまざまなことに直面しているが、なぜか「おつかれさまでした」としっかりと職場を後にできる。そしてまた次の日はきちんと仕事に来て、だからといって仕事も別に手を抜いているわけではないというか、本当にすばらしい、すごく切り替えが上手な方。これを「柳に風」と言っています。 相関を取ったことがありますが、「横綱相撲」はもう何年も「横綱相撲」です。「柳に風」は何年も「柳に風」で、つまり支援者はそれぞれ絶妙なバランスで成り立っている。その中間タイプもいらっしゃって、プライベートの出来事とか職場が変わったとか、いろいろなことがあればそこは揺れますが、また安定的になると「横綱相撲タイプ」になったりと、それぞれ個別性が高いです。 だから、私はそういう多様な職員がいらっしゃることはすごく大事なことではないかと思います。経験や年齢もそうだし、ジェンダーはもちろんですが、仕事の仕方における疲れ具合でも、やっぱり疲れやすい人もいれば、結構回復が早い人もいる。でも、そういういろいろな人たちがいて職場が成り立っているのではないかと思うので、支援者支援ではそういうところを見ていくトレーニングが必要であると感じています。 そのために「レジデンシャルマップ」という技法があります。施設や家庭で、人それぞれがどんな関わり合いで人間関係や支え合いをされているか、あるいは強度行動障害などの利用者の方から、日ごろ職員がどのようなつらい思いをしているかを絵で整理する。「○」が利用者の方、「◎」を職員として、その関係性をギザギザや実線、点線などで表現する。希薄な関係は点線で、かなり厳しい、大きな声を出されてしまうなどはギザギザが職員に向かっていると表現する。そういうもので日々それを整理する中で、今この職場の中でどこがきついのか、どの方に集中してギザギザが向かっているのかなどに気づくというものです。 もう一つが「人生脚本」と言いまして、これも支援者支援の技法です。支援者の仕事を続けていくためには、どこか自分の生い立ちや、あるいは自分の今までの人生を整理しながらまた次のステップに向かうことが大事で、折りに触れて自分の人生の中でのこの仕事の位置づけを考えていくことが大事ではないかなと思っています。  基礎講座で「支援者支援とは何か」という理念をお伝えし、それから技能講座1で「自己チェック」、そして技能講座2で「レジデンシャルマップ」を、さらに技能講座3で「人生脚本」をお伝えし、研鑽を積んでいただきます。このような研修会を昨年度からさせていただいています。まだ始めたばかりではありますが、これから広げていこうかと考えています。先ほどおっしゃっていただいた支援者支援コーディネーター研修という意味においては、そういう場をつくらせていただいています。 既存の基礎資格などの資格要件は今のところは考えていなくて、これまでお話しした研修を受けて、支援者支援の経験があることが「支援者支援コーディネーター」のベースです。 石井  ありがとうございます。先生のほうで、そういったパッケージを始めていらっしゃるということですね。ぜひ参加させていただきたいと思いますので、ご案内をいただけますか。 藤岡  そうですね。ぜひお願いします。 石井  まずは管理者クラスから始められればと思います。本日はどうもありがとうございました。