嬉泉

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鼎談「支援者支援がめざすこと」-07-

ワークライフエンリッチメントと支援の輪

藤岡

 最近、私は「ワークライフバランス」という「仕事と生活をバランスよく」という考え方より、つらいことがいろいろあってもなんとかライフも充実して、その中でのワークも充実する「ワークライフエンリッチメント」が、理念としてすごく大事なことだと思っています。そう考えると、やはりライフも含めたメンテナンスをしてくださる方が必要です。ワークの面のスーパーバイザーはしっかりと位置づいていらっしゃると思うので、その全部を含めた、支援者のための、持続可能な支援者としての「支援者支援コーディネーター」、まさに支援者支援のど真ん中だと思いますが、そういうことをぜひ、嬉泉から先駆的にお願いできればと思います。
 実際にその土壌として、先人の石井先生を含め、皆さま方の中に支援者支援という思いや考え方が定着してきていると思うので、ぜひお願いできればと思っております。

石井

 「ワークライフバランス」には私もすごく違和感を持っていまして、そもそもそんなにきれいに分けられないのではないかと思うんです。もちろん自分の中にもオンオフはありますが、それにしてもやはり影響し合っているところはありますし、実際に職員の話を聞いていても、どうしてもプライベートで起こったことに影響されて仕事に支障が出ることは当然あります。
 また、すごくシビアなところで言うと、やはり行動障害のある利用者さんに関わっている中で、どうしても支援者側の感情が制御できない時がありますが、そういう時は往々にしてプライベートで何かある、ということがある。そこを切り離して語れないというか、先生がおっしゃったように、そこ込みでメンテナンスしないと継続していけないところではないかなと。とてもすごく、腑に落ちる話をしていただいてありがとうございます。
その辺り、小池さんはどうですか。

小池

 自分もどちらかというとワークとライフは別ではなくて、そもそもライフの中にワークがあり、自分の人生の中で仕事はすごく大事だとずっと思ってきたので、分けたことはあまりないです。
公私の区別なしではだめですが、自分の生活の中で生活の一部として仕事があり、やはり生活が安定していないと駄目だと思います。自分自身の心が安定しているのは、自分の生活自体が安定しているからできることなので、そうでなければ、どんなに一生懸命理屈を考えても良い支援はできないと思っています。
 ですので、本当に支援者支援の役割などを抜きにしても、やはり管理職の役割もすごく大事だと思っています。(職員との面談で)仕事の話をする以上に、個人的な話を聞いていることが実はすごく多いです。個人的な話もきちんと聞いて、それに応えて話をして、その職員が「こうすればいいかな、これでいいんだな」というヒントを得て、安定して仕事ができればいいなと思っています。ですので、いつも話の間口を開けていて、「こんなことを話すのか」と周りが思うようなことを言いにくることもあります。
 管理職を行っていると、どうしても日常の仕事の管理や、業務、運営がうまくいくようにと、どうしてもなりがちですが、そのためにはやはり職員が安定していないといけない。本当にお話していただいた通り、管理職がものすごく意識して取り組まないと。単純に管理的な立場だと無理なので、それはすごく大事だなと思います。
 ただ自分も、どちらかというと管理職側には見られなくて、話している内容がやっぱり支援者だよね、と言われる。その側面をきちんと持ちながら、利用者支援を行っている人たちの気持ちもきちんと分かりつつ、うまくいかない時は本当にみんなすごく気持ちもなえるし、でもやっぱり「こうしたらうまくいくよね。これはうまくいったよね」というその仕事の話も含めて、個人の生活も「楽しいことがあるといいじゃない」という話をする。本当にそれこそバランスだと思います。
 このように藤岡先生とお話しさせていただくと、「自分がやっていることはそんなに間違っていないのだな」と思う時があるので、自分は支えてもらっている側だと思います。石井哲夫先生もそうでしたが、本当に藤岡先生とお話ししていると、本当に何でも話をして相談できてきたなと思います。(自分が職員にとって)そういう存在になれたらきっといいし。ただ、その目的はあくまでも利用者の皆さんのために、なので、そこが一緒にできたらいいなと思います。
 本当に藤岡先生においでいただいていて、自分もすごく救われている側です。これはなかなか言う機会がないので、今日お伝えします。本当にありがたいです。

藤岡

 こちらこそ本当にありがとうございます。そのように言っていただいて、私もまたうれしくなって、支援者支援をまた続ける気持ちにもなっていると思っています。
 先ほどおっしゃっていただいたところ、「支援の輪」という言葉を共感疲労の草分けであるチャールズ・フィグリー先生から教えていただきました。支援というのは1人の支援者をグループが支える、そのグループもそれをまた支える人がいて、その輪が広がるようになっていくのが支援なのだという、その輪が波紋のように広がってくることがすごく大事だと。
 一方でフィグリー先生はPTSDという考え方の中で、二次的なトラウマの大変さも指摘しています。もともとの出発点はご自身が大学に進学する時にお金がなくて、当時アメリカは軍隊に入ると奨学金が出るので、高校卒業してすぐに入隊してベトナム戦争に行った。そこでとても大変な思いをして帰ってきた時に、一緒に戦った人たちが次々と、家での様子が変化してしまう。戦争に行くまではすごく良いご主人だったのが、帰ってきてものすごいDVの加害者になってしまって、どういうことが起きたのだろうかということで、トラウマというものが波紋のように広がって、それが二次的PTSD、そして三次的と広がる。だから支援の輪も広がりますが、傷つきやつらさもそうやってどんどん波のように広がっていく。
 私は常に提唱していますが、支援者の傷つきである二次的PTSDの他に三次的PTSD、四次的PTSDがあると考えています。つまり傷ついた利用者の方々、あるいはお子さんが一次的PTSD、支援者の傷つきが二次的PTSDであるとするならば、支援者の家族や友人などがこうむるトラウマティックなストレスが三次的PTSDと考えていくといいかなと思っています。そして最近、私は四次的PTSDも考えなければいけないと思っています。これはやはり家庭や、あるいはプライベートなライフで、さまざまなうまくいかないことがあったり、傷つきがあったりする。家族、友人は三次的ですが、支援者がプライベートでこうむる傷つきが四次的。その四次的がそのまま職場に行ってしまって、職場の中での自分が普段とは少し違う感じになってしまう。
 先ほど、石井先生がおっしゃったところは、やはり(プライベートの)傷つきなどの輪が波紋のように広がる。でも、そうではない「支援の輪」を常に広げていく。支援者は、ある意味では世の中全体を明るく、希望ある世の中にするための一翼として、この仕事をさせていただいていると思います。ライフのほうの家族・友人もその輪の中に入っていくことによって「支援の輪」ができるだけ広がるような雰囲気づくりをすることが、支援者支援の出発点なのではないかなと、今お聞きしながら思いました。